無駄を愛せ
私が勤務するバイト先は自転車で30分かかる。電車だと3駅ほど離れている。遠いからやめようと思っていたが最近はこういうのもありだと考えるようになった。なぜなら自転車に乗りながら好きな曲を順番に聞いたりシャッフルで聞きながら通勤するのがたまらなく楽しいからだ。このご時世マスクが当たり前になり、口さんで歌っても他人にばれないのも心地がよい。
例えば友達と会うときも電車に乗りながら友達はどんな格好でくるかとかどんな表情かなのかと考えるときが楽しい。人によっては会ったときがピークと捉えられるかもしれない。また帰りは写真を眺めたり、会話を回想したり反省したりなどとにかく事がある前と後をかみしめて生きているタイプということに気づいた。
コロナ禍でリモートワークや外出自粛が呼びかけられ人との関わりが減るがこういう無駄だと思われていることをないがしろにされてほしくないなと感じる。
むしろコロナ禍で無駄なことを愛せていたからこそ経済が回っていたこと、生活が華やかになっていたことに気づいた。
全てをスマートにする必要も無駄が多いものにする必要もないし強制する必要もない。自分が無駄だと思ってることは相手にとって無駄を愛せている貴重な時間かもしれない。仕事にしても、遊びにしても同じことが言えると思う。
これは無駄、無駄じゃないと人にとやかく言われる筋合いはない。それがコロナ禍によって無駄を切り捨てスマートに生きろと言われている気がして違和感を覚える。
あるツイートで
飲み会は懲りず開催するのにリモート飲みは3か月で飽きてしまって非常に人間を感じる
というものがあった。私たちは幸いにもロボットでも人工知能でもないから効率化と非効率化=無駄化 を両立することができる。どれをどれくらいの比率で取るのかで人の個性が決まるのではないだろうか。
まあこれはあくまでも一個人の話であり会社や社会全体のことすべてを指してるわけではないのでな、、、