特技は生きること

私は小学生の頃はたくさん特技があった。しかし中学生以降は自分がずっとやってきた競技でさえこれって結局特技っていえないんじゃないか、私なんかよりもっとできる人が世の中にはいるんだからむしろ書かない方がいいんじゃないかと思うようになり特技の欄に書くことが辛くなってきた。

また部活を引退してからその競技一筋だった私はやめてからもっと特技って言い張ればよかったなと思ったのとこの競技を取ってしまうとなにもない人間になってしまうと思い特技探しに燃えていた時期もあった。その時期は自分がみじめだなと感じていた。

 

でも今の世の中特技を強要する機会ってそこまでないよなと気付いた。強いていうなら小学生のときに特技発表会的なものがあったくらいだ。

 

 

私は今も特技がないと嘆いている日々だしでも特技とは言わなくても趣味がある。ちっぽけなことでも趣味は強みになると思う。趣味がなくても特技は生きることでいいのではと思いついた。

なぜならお金がなくても趣味や特技がなくても毎日時間は過ぎていく中で生き抜いている。死ぬよりも生きていた方がなんかあるかもしれないと思うから生きているわけで人類皆特技は生き抜くことといっても恥ずかしいことではないと思う。

 

今のご時世外に出るのも憚られるし嫌いなマスクだってもう1年以上つけて生活している。コロナは終身刑でも足りないくらい元の生活に戻してくれない罪は重いがそれでも生き抜いているのを誇りにして特技として意志をもって生活をまた明日から続けていくしかないな

 

 

 

すごい宗教めいてしまったがこれが現役理系女子大生の本心ではあるな

 

桜と梅と桃の見分け方

友人がInstagramの投稿で桜も彼氏も良すぎて選べない~など投稿していてお前が撮ったその写真は梅だよ!!!!!と心の中で盛大に突っ込んだ本日3月上旬。

そういえば桜と梅の違いは咲く季節以外なんだろうと思って実際に調べてみた。そしたら桜・梅・桃の3種類の違いが多数載っていたので比較していく

 

 

開花時期

:関東3月下旬

:関東2月中旬

:関東3月中旬

咲く順番は梅→桃→桜

なお北海道などの寒い地域は一斉に咲くこともある。

 

花びら

:先がへこんでいる

:丸い

:尖っている

 

花の形はフリー素材で検索すると花の違いがよく分かる

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花柄

:非常に長い

:なし。そのため直接枝に花をつける

:非常に短い

花枝とは花と枝の間にある花を支える茎のこと。桜とか枝ごと落ちていたするのを毎年見ませんかね?桜は花柄を隠すくらい花を付けますね

 

花芽

:花芽が房状についている

:1節につき1つ

:節の中央に葉芽がありその両側に花芽が1つずつ。つまり1節につき2つ

花芽とはのちに成長して花になる芽のこと。また成長して葉になるのを葉芽という。丸くておおきめのものはだいたい花芽の可能性が高い

 

:時期は種類による。縁がギザギザ

ソメイヨシノ:花が咲いてから葉がでる

八重桜:葉がでると同時に花が咲く

:花が咲いている間は葉はでない。花が落ちてから。葉の形は卵型

:花が咲くと同時に葉もでる。葉の形は楕円型

 

:つるりとしていて縞模様。

:ゴツゴツしている、板チョコが割れてる感じ

:白っぽく斑点模様

 

幹の写真を載せようと思ったが花ばかり焦点が合ってて全然いいのがなかった、、これぞ灯台下暗し、、

 

近くの公園でもどこでも探検しにいってみよ~

ブログ初心者が1か月毎日投稿してみた

昨日でブログを始めてから1か月が経過した。正直な感想は1か月って意外と長いなという思いだった。ブログをやりたくて開設してから毎日続けたメリットとデメリットを挙げていく

 

メリット

  • 心にためてたモヤモヤが文章にしたことで解消された
  • 同じ悩みを抱えた人に向けて書くことで見ず知らずの誰かが救われるかもしれないと考えるようになった
  • 遊びに行った場所のレビューを書いたことでより遊んだ記憶が充実したように感じた
  • 遊びに行った場所のことを書きたいと思うようになるので施設やグルメなどじっくり観察するようになった→多角的な視点を持つようになったかも
  • 月の後半は原稿用紙3枚はすぐかけるようになった。それと同時に最低でもこれくらい書かないと自分が思っていることが相手に伝わらない
  • タイピングが早くなった(指の位置とかあっているかは知らんが)
  • 読書の感想や考察をブログに長くかけることの喜び
  • ↑により読書がさらに好きになりたくさん読んでレビューしたい思いが強くなった
  • 怒りも文章化することですっきりした

 

かなりメリットが多くとりあえずは開設してみてよかったなと思った。今回はテーマを決めずに自分がその日書きたいことを書くというように自由なブログ」にした。特に思いが晴れたことが一番大きく今の生活自体にストレスはなかったがさらにストレスフリーになりそして少しポジティブになった。なぜなら思い悩んでいても文章にすれば落ち着くからだ。

 

デメリット

  • 時間がない日はスマホから打っているのでタグ付けができなかったり他のSNSに目移りしてしまうことが多くスマホだと書くのに時間がかかった
  • ほんとになにも書きたくない日のブログが雑になってしまった
  • 月の後半は今日は書かなくていいかなと思うときが増えた(それでも継続はしている)
  • アクセス解析に踊らされて自分の胸の内を書いているのにワードをいくつか吊り下げアクセスにひっかからないかとかいう悪い思考になった
  • ネタの幅が広すぎて書きたいテーマが逆にわからなくなった

 

いくつかあげられる。ブログを気分でないときの気持ちのあげ方が結構つらかった。今回は1か月続けるって決めたんだから!と震い立たせたからここまで続いたがもし毎日投稿するなら果たして気が持つんだろうかという懸念が残った。またネタが広かったのでブログを続けていくにはもう少し絞ったほうがいいなと思った。

 

 

1か月続けた結論は私が書きやすいテーマはやはり遊びに行った場所と本の感想レビューが向いているなと思った。私の胸の内、いわゆる人間哲学は書きたいと思うときでないと書けないなと感じた。なので継続的に書けないと思う。なのでレビューであれば毎日続ける必要もなければ毎日は書けない内容ではある。

 

でも毎日書く習慣ができてしまったなあという気持ちでなんとしても書かなきゃとも思うようにもなったが毎日続けるという思いが先行するのはよくないとは思う。なので気ままにでも書くときはしっかりスタンスでいこうかなと思う。だけど1か月って30記事だからやっぱりもう2か月続けて1次は00記事を目標にしていこうかな、、?

 

低身長をコンプレックスに感じる人へ

突然だが私の身長は145㎝である。日本人女性平均身長は155~160㎝くらい。周りの友達で一番低い身長は148㎝。140㎝代になるとミリ単位での身長争いになるがとにかく私の友達からすると私が一番小さい身長の友達らしい(笑)

 

小学校入学時の身長はおよそ100㎝。中学入学時は135㎝。

の2つが私が低身長である大きな原因だ。そして低身長のほとんどの人は身長はコンプレックスに感じている人が多いと思う。

 

実際小学生のときにプロフィール帳交換(懐かしい)のとき嫌いな言葉の欄に「チビ」と書くほど昔からコンプレックスであり低身長の原因が病気かもしれないという理由で病院に通うことが多くなった時期もあり嫌がらせを受けたこともあった。今ではかわいい思い出だが、、

 

背が低い女子=かわいいといわれる。実際自分のことは一旦おいとき他の背が低い子を見るとかわいいなと思う。でも背が低いことで例えばかっこいい演技や踊りをしていてもかわいかったねと相手は身長という先入観から私をほめることが多かった。どんなにかっこよく演じていても相応にみられないことからかっこよくなりたい、強くなりたいという気持ちが強くなった。

また女子校という割と特殊な場所で中高6年間で人格形成されたこともあって精神的に自立できるようになった。そのため例えば高いところにあるものは台を使って自分でとる、重いものは重くても気合で運ぶ(笑)など身長が低いことで弱い人間と思われないようにいわゆる か弱い系女子 と一緒にされたくなかった

 

しかし低身長は武器になるということを新しい環境に身を置いたときはじめて気づいた。例えばアルバイトを始めたとき、大学進学等初対面はとても緊張する。よくも悪くも身長が第一印象。バイトならば「食材の台が届いてなくてかわいかった、助けてあげなきゃっていう親の気持ちになったよね」とか言われてからだんだん仲良くなれるようになったり、大学なら怖くみられることもないので話しかけていくうちにこのご時世だがたくさん友達ができて早めに大学に馴染めることができた。身長を武器にする一番のきっかけが

「あんたはどこにでも誰でも分け隔てなく愛嬌を振りまけて誰でも仲良くなれるのがいいところよ」

と母親から言われたことで身長という一つの強烈な個性が確立された。去年の11月くらいのことだが自分を好きになれた一歩だった思う。

 

自分のコミュ力が高めなことは自負していたが人との輪を広げるためには身長を活かさない手はないなと感じた。そして身長はもう仕方ないことなので頼れるときは人に頼ることも大事なのだと気づいた。自分の身長をコントロールして日常に織り込めば見てくれる人がいるし身長でしか人を計れない人はその程度の人なのだと思うようになった。ということで身長が低いからといって弱っちいとかはすぐには思わないほしいのである。

動物園の意義

昔というか中学〜高校生の頃動物園と水族館が嫌いだった

理由はやはり動物が檻の中にいてそこで一生暮らすというのが可哀想だと思っていた

 

中学生のときに動物実験に興味を持ってひたすら資料を漁っている時期があった。例えば化粧品とか薬の皮膚実験を動物に行い異常があるかないかやマウスで実験する光景を思い浮かべる人も多いだろう。そのように動物を使っていることで倫理観どうこうで批判の声が上がり最近では落ち着いているように感じる。批判側は今は科学も進歩してるから擬似皮膚なども作れるはずだしその方がちゃんとした結果が出るのではないか、哺乳類でもない動物に実験をして何の意味があるのかなどの声が多かった

実際それに署名もしたことがあるしバスボムのLUSHを買った時に動物実際を行っていないという袋を見て動物実験していない会社の製品を買う時期もあったしそれは今もそうだ。

 

嫌っていたから行かなかったが最近動物園にも水族館にも行く機会があった。

 

普通に生きていたらゾウやトラなんて街中で会わないし、海沿いに住んでいても熱帯魚なんて見れない。そう考えると近いようで遠い他の動物生態を間近で解説までしてくれる動物園、水族館ってなくてはならない存在なのだ

と考えが変わった

実際私や友人も園を見て気になる動物を調べて絶滅危機かもしれないことやその地域は砂漠化が進んでいて環境が脅かされているなど動物を起点に地球規模で考えることができるきっかけになるのは素晴らしいことだと思う。私の興味のある地球温暖化だって逆のことが言える。

 

園の職員も動物達の生態や環境、魅力を伝える使命感が他のどの職業よりもあるなとも実際行って感じる。そして園全体がそれぞれの種が元いた環境になるような展示(語弊ではあるが)へと移行している。

 

動物園なら餌を生きたネズミを離し食べているところを見てもらう

水族館なら水草に光を当て光合成を室内でも行える環境にしたり、水深に応じて暗くする

 

なにより小さい子はこういうのが大好きで私も好きだった。こういうところに人間の元来あるべき野生っぽい心理があるなとも感じる。

 

だからすべての動物に可哀想と言うのは失礼なんじゃないかなとも思う。

地方と都会

私は都会育ちだが自然の中でキャンプや山登りなどアクティブに活動することが多かったことから将来は田舎に住みたいなと漠然に考えることが多かった。

 

今日は都会と地方を結ぶ地方創生講義を受けた。その中で田舎の反対は都会ではないのだと。

超都会⇄都会⇄地方都市⇄街⇄自然

 

というように二極化ではなくグラデーションなのだ。そして地方都市に魅力があり新しい産業が生まれるのだと。

 

地方で産業を生んで暮らすなら

旅、人、本

の三つが大事なのだそうだ。さまざまな都市に行くこと、人と交流をし繋がりを持つこと、本を読んで自分の考えをもったり知識を吸収すること。

そして地方の産物を見て自分にできることはなにか、考えることが大事。

 

私は約2週間後にボランティア活動を控えている。ボランティアだから旅とは一緒とは言えないかもしれないがそこで感じたことや初めて行く地域なので風景や産物を見て何を感じたか自分には何ができるか考え続けていきたい。これはまた起業活動にも繋がるんだなと感じた。

 

それにしても私はきっと昔から地方創生やりたいんだなとつくづく思うわ、、森林どこいった、、

コツコツ派は一生モノ

皆さんは例えばテストがあるってなったときコツコツ勉強する派ですか?それとも直前にする派ですか?ちなみに私はコツコツ派です

これはどちらがいいとか悪いとか一概に決めるものではないけど私の周りの友達は直前派が多かったような気がするな、、

しかも直前に勉強する子の方がテストの点数がいい場合が多くてまあ私が効率悪いっていうのもあるけどこっちは2週間前から勉強しているのになんで一夜漬けでこんなに差が開くんだろうって中学高校で何度も感じてきた。

 

 

でも大学生になって気づいたことはコツコツ勉強してきてよかったなと1年間授業を受けてみて感じた。

 

受験勉強は元より高校のときに受験には直接関係なかった分野でもコツコツ勉強してきたおかげで大学の高校分野の復習の際に無知よりは名前聞いたことあるだけでも苦手意識の感じ方がだいぶ緩和されるなと思った。私は数学が大の苦手だが中学高校でわからないところ(そもそもなぜこの式で解かなきゃいけないのか概念から聞くタイプでした)質問しまくってテストの点などその場で結果は人より負けたりいい結果がでなくともコツコツやったものは頭のタンスに折りたたんでしまわれているから出したとき綺麗なまま保存状態のいいまま時間さえあれば徐々に思い出すことができる。直前派の効率のよさは私は見習いたいくらいだしその能力を懇願してるほどだがタンスにぐちゃぐちゃにバサッと仕舞われているからいざ思い出したくてもあれどこやったっけとなってしまうのだとほかの人を見てて多少感じる。

今普通の大学の理系の道に進んで数学苦手なりに奮闘しているがそれでも勉強ってテストよりも過程が大事で少し時間があれば基本的なことは思い出せるからめんどうくさくても過程を大事にしてた過去の自分に感謝している。

 

 

努力するの人より得意かもしれない、けど不器用で結果が出ない人へ

今じゃなくて年単位で時間はかかるけどはやくて1年後、半年後、みんなが忘れている中あなただけもしかしてあのときのあれだ、、と努力してた光景とセットで思い出せるからなにか打ち込める人はそのまま続けるのは特技にして恥じずに生活してほしいな。コツコツできる人は特技って思わない人とかみんなやってるしと思う人多いし実際私もそうだったけど人にそれを直接みんな特技として言えなくてもあなたはできる派の人間なんだよ!!といいたい。偉い。