弱いからこそ
最近新しい環境に置かれることが多いからか芯があるよねとか強いよねとか言われることが増えるようになった。これはかなり嬉しく昔の自分じゃ想像もできなかったので大きな進歩だと思っている。きっと昔から夢が変わらないことを褒めてくれる人が多く信念が変わらないとかを言ってくれることが多い。
変わらない部分がある一方他人の目をものすごく気にする方でもある。このきっかけは小学校のときに受けたいじめが原因なんだろうなと自分でも思う。基本的にこれは曲げたくないと思っていること以外、つまりあまり考えが定まってない事象だったり経験値がないものはとくに流されやすいと思う。そういうときに限って自分を持ってるねとか言われるとモヤモヤしてしまう。
三宅島生活で世話人の人と深夜二人きりで話す機会があった。そこで言われたのが
「芯がある強い部分(将来のこととか)と環境に流されやすい部分のハイブリット型だよね」
「その弱い部分は弱いからこそ自分に合った環境づくりをしていけば強くなれる」
今まで意志を強く持たなきゃとか考えることが多くあらゆる事象で考えを固めたいことが多くて考え続けていたがハイブリット型ならなんか響きもいいし(そこ)弱い部分を受け入れて武器にしてしまおうということだ。
私は小学生のころから自然環境に関わる仕事をしたいと思っていてでも職種は狭いし言い訳にしたくはないがコロナでなかなか遠方へも行きにくい。でも今の時代職に絶対就く必要なんてなく今このブログを仕事にしたっていいらしい。
まずはどう生きるか、どう生きたいかを明確にすれば職業の道筋も決まってくるのだそうだ。
弱い人に寄り添うことが大事などいわれるがまずは弱い自分をないがしろにしないこと、強がり過ぎないことが大事なのかもな。弱点をプラスに?