ナツの思いつき

第二のツイッター

島で住むこととは

三宅島に滞在中なぜここの人はこの島に住み続けるのかという疑問があった。結論から言うとそこに地元への愛があるから住み続けられるということだった。

 

魅力その① 自然の力

三宅島は噴火を過去に何度も繰り返し湖を干上がらせたり、小学校を溶岩で埋め尽くしたり、2000年の噴火で全島民が避難したということを知っている人も多いだろう。

例えば大島は1つの山からしか噴火しないが三宅島はいろんなところから噴火する活火山の島である。しかし想像以上に自然に覆われていた

昭和58年の噴火で小学校の校舎を飲み込み校庭に今も溶岩で埋まっている。しかしパイオニア植物のススキや貧弱地でよく育つマツが育っておりここが生物でいう遷移の初期の様子を見ることができた。

一方大路池では照葉樹林、針葉樹林など極相の状態を迎えていた。同じ島でも植生が違う屋久島を見てきたが三宅島は同じ島の中で植物が育ち森になる過程を見ることができる。島全体が博物館だ。

映画ロックでのセリフで三宅島から避難したヒロインが「なんか島も生きてるって感じがして好きなんだよね」というものがあった。

たしかに本島にいると感じにくいなとも思った。映画用だとしてもこの言葉は三宅島にぴったりだと思った。

 

 

魅力その② 祭りへの情熱と敬意

またお祭りも毎年すごい盛り上がりを見せる。牛頭天王祭、富賀大祭。どちらも実際に見たことはない。

富賀大祭は地区を5地区に分け地区から地区へと富賀神社に収めてある神輿を島一周させる。その際地区間を受け渡すときに喧嘩が始まり喧嘩祭りと呼ばれるほどの盛り上がりを見せる。

映像で見た牛頭天王祭は地区内を周り要所で神輿を担いだ男達がジャンピングスクワットをしながら神輿を激しく揺らすこの光景は映像からも迫力が伝わるくらい魅力的なお祭りだ。

個人的に一番魅力的と感じたのは神輿に神を乗せることはもちろん降ろすという作業があることに新鮮味を感じた。私が知らないだけで全国のお祭りはそうした行為を行っているこもしれないがお祭りが形骸化してるところも少なくないだろう。

祭りはただバカ騒ぎではなく島と神の結びつきを演者は理解した上で行う。それを太鼓などの鳴り物を若い世代が紡ぎ祭り主催者周辺だけでなく島全体が祭りに携わりそしてつなげていくことへの信念の強さを感じた。

 

魅力その③ 人とのつながり

島生活中初日からタイを分けてもらったり、お肉、農作業体験でネギや明日葉、なんといちごまでいただいた。地方にいくと人との繋がりが強いとよく聞くがわずか10日間しかいないこんな若者にも食料をいただく機会はなかなかないと思う。

祭りと関係してこの島が好きで祭りを次の世代に繋げたいという共通の想いがあるからこそ魚⇔野菜 等の物々交換が毎日のように行われ島民同士の交流があるのだと思う。住民が少ないからこそ一人一人が人間的価値があり充実しそれぞれの仕事に専念できる環境がある。少ないからこそよりよい環境がうまれ生きがいも生まれる。

 

その反面暮らしにくいのかなと感じる部分もあった

  • 塩害がある→鉄筋のものはさびやすい
  • 地震時、全方位海なので怖い(と感じた)
  • 商店の物価が高い(輸送費がかかる)
  • 壊れたら修理屋のようなものはないので自分で直すスキルを身に着けることが大事
  • ネットで買うことが多くなるので見た目と中身のイメージが違うことを想像しながら買っている
  • 大人の娯楽がパチンコくらいしかない→これは農作業体験で伺った農場で大人の娯楽が少なくホームセンターが欲しいと言っていた

 

これらの気づきは旅行のような短期間滞在ではなく10日間いたからこそ身をもって体感した。自分は島でも地方出身者ではないが島や地方都市に魅力を見つけいいところも悪いところも見つけ消化していく。今の同じ世代の人はせっかくいい経験をしても人に話して終わる人が多い気がする。話して書き留めて記憶に残るように発信する、これらを将来の材料にしていく必要があると改めて感じた。

 

島で暮らしていくには悪いところも受け入れるまたは改善したいという想いを抱いて暮らしのなかで見出していく必要がある。自然が好きだからその中で暮らしたい!という人は島の自然と歴史と人文化をまずは体験してから考えてみてはどうだろうか。