明日は我が身
三宅島滞在中雑貨屋さんのおばちゃんの話を聞く機会があった。話しの後半は若干宗教染みていて割愛するが前半の話はみんなに通ずる話だなと思ったのでまとめてみる。
おばちゃん
- 三宅島で生まれ育つ
- 1983年の噴火では直接の影響はなかったが別の地域から避難してきた人もいた。なかよくなれた
- 高校卒業と同時に島を出る
- 2000年の噴火は島外で知る
- 大人になって島に戻ると前いたときとのギャップを感じた
- →一度避難して戻ってきた人とそうでない人がいたことと戻ってきた当時知り合いがいなかったから孤独感と違和感を感じていた
- 島出身ではないけれど嫁いできた方が島に馴染むために努力する姿を見てギャップを埋めて本来の自分を取り戻すことができた。
- 本島で仕事をしていたので最近やめてこっちで仕事をしている
おばちゃん自身が被害にあったことはないそうだが噴火後に人の変化、町の変化は大きなものもあれば小さなものもある。私たち外部の人間には戻れてよかったねと思うこともやはり一筋縄ではいかない。島出身だからこその苦労もあるのだなと感じた。
そしておばちゃんがいうには2000年の噴火ですべてが変わったと感じるのだそう。噴火したあとに東日本大震災が発生したり熊本地震、豪雨や洪水などの天変地異が著しくなったと。大島は1つの山からしか噴火しないが三宅島は色々なところから噴火する。実際2000年時の噴火と1983年の噴火では噴火口が異なる活火山である。いろんなところから急に出るから明日は我が身と思って生きている。
とおっしゃっていた。
こんなにも説得力のある明日は我が身という言葉はとても重みを感じた。もういつ何が起こるかわからない時代に例えば災害の備えだとか誰かにかけとくべき言葉とかそういうところで後悔しないようにしていきたいよねえ。