ナツの思いつき

第二のツイッター

特技は生きること

私は小学生の頃はたくさん特技があった。しかし中学生以降は自分がずっとやってきた競技でさえこれって結局特技っていえないんじゃないか、私なんかよりもっとできる人が世の中にはいるんだからむしろ書かない方がいいんじゃないかと思うようになり特技の欄に書くことが辛くなってきた。

また部活を引退してからその競技一筋だった私はやめてからもっと特技って言い張ればよかったなと思ったのとこの競技を取ってしまうとなにもない人間になってしまうと思い特技探しに燃えていた時期もあった。その時期は自分がみじめだなと感じていた。

 

でも今の世の中特技を強要する機会ってそこまでないよなと気付いた。強いていうなら小学生のときに特技発表会的なものがあったくらいだ。

 

 

私は今も特技がないと嘆いている日々だしでも特技とは言わなくても趣味がある。ちっぽけなことでも趣味は強みになると思う。趣味がなくても特技は生きることでいいのではと思いついた。

なぜならお金がなくても趣味や特技がなくても毎日時間は過ぎていく中で生き抜いている。死ぬよりも生きていた方がなんかあるかもしれないと思うから生きているわけで人類皆特技は生き抜くことといっても恥ずかしいことではないと思う。

 

今のご時世外に出るのも憚られるし嫌いなマスクだってもう1年以上つけて生活している。コロナは終身刑でも足りないくらい元の生活に戻してくれない罪は重いがそれでも生き抜いているのを誇りにして特技として意志をもって生活をまた明日から続けていくしかないな

 

 

 

すごい宗教めいてしまったがこれが現役理系女子大生の本心ではあるな