ナツの思いつき

第二のツイッター

無駄を愛せ

私が勤務するバイト先は自転車で30分かかる。電車だと3駅ほど離れている。遠いからやめようと思っていたが最近はこういうのもありだと考えるようになった。なぜなら自転車に乗りながら好きな曲を順番に聞いたりシャッフルで聞きながら通勤するのがたまらなく楽しいからだ。このご時世マスクが当たり前になり、口さんで歌っても他人にばれないのも心地がよい。

 

例えば友達と会うときも電車に乗りながら友達はどんな格好でくるかとかどんな表情かなのかと考えるときが楽しい。人によっては会ったときがピークと捉えられるかもしれない。また帰りは写真を眺めたり、会話を回想したり反省したりなどとにかく事がある前と後をかみしめて生きているタイプということに気づいた。

 

 

コロナ禍でリモートワークや外出自粛が呼びかけられ人との関わりが減るがこういう無駄だと思われていることをないがしろにされてほしくないなと感じる。

むしろコロナ禍で無駄なことを愛せていたからこそ経済が回っていたこと、生活が華やかになっていたことに気づいた。

 

全てをスマートにする必要も無駄が多いものにする必要もないし強制する必要もない。自分が無駄だと思ってることは相手にとって無駄を愛せている貴重な時間かもしれない。仕事にしても、遊びにしても同じことが言えると思う。

 

これは無駄、無駄じゃないと人にとやかく言われる筋合いはない。それがコロナ禍によって無駄を切り捨てスマートに生きろと言われている気がして違和感を覚える。

 

あるツイートで

 

飲み会は懲りず開催するのにリモート飲みは3か月で飽きてしまって非常に人間を感じる

 

というものがあった。私たちは幸いにもロボットでも人工知能でもないから効率化と非効率化=無駄化 を両立することができる。どれをどれくらいの比率で取るのかで人の個性が決まるのではないだろうか。

 

 

 

まあこれはあくまでも一個人の話であり会社や社会全体のことすべてを指してるわけではないのでな、、、

17歳は人生の進路決め

ちょうど2年前のツイートになるが

 

人は17歳のときを一生引きずる。17歳のときに好きだった音楽や洋服を無意識に選んでいたり、17歳のときの時代の風潮を捨てられない人が多い。例えば老害といわれる人達は17歳の頃、男尊女卑の時代に生きてたからそれを引きずっている。

 

というのを見かけた。印象的でスクショまで残していた。確かに自分に置き換えると私はバンドの邦楽ロックやアイドル曲が好きである、古着に目覚め昭和カルチャーのものや柄物を好んで着る、部活に明け暮れ病むことが多かったからネガティブ思想を引きずっている、その一方で自然環境への興味は薄れることはなかった、女子校で育ったおかけでいい意味で性格が変わったのを実感した年齢であった。

 

よく華のJK=女子高生ともいわれるこの年は人生の思考進路を決定する重要な年なんだなと最近しみじみ感じている。

 

環境に恵まれていたおかげで家庭的にも社会的にも負の循環に陥ることはなかったが多感な時期の世代を大人はもっと大事にするべきではないか。最近若者がないがしろにされていることに腹立たしいと感じることが増えた。夢がかなえられないとか金銭的余裕がなくて諦める子もいる。地位や名誉、終身雇用でまっすぐに進む人生設計はもう古い、17歳いう時代は常に変化していると大人に理解してもらいたい。

 

17歳に受けたインパクトを大人になってももつのはいいことだが、その概念にとらわれることなく柔軟に時代に合わせる人が求められるし今後老害ともいわれない。まずは若者をよく視てほしい。

目の前にあるものはそうとは限らない

実は企業に興味があり先日とある体験会に参加した。

 

日本にも数多くの経営者がおり年収1憶円以上の人はほぼ会社の経営者である。

起業で成功した人の共通点は

 

概念を変えること

 

ができた人だというのだ。例えば眼鏡と聞くとどのような印象を持つだろうか。

少し前だと眼鏡=目が悪い人がかけるもの だった。しかし今ではブルーライトカット眼鏡が出たりして眼鏡は目がいい人も悪くならないようにかけるものへと変化した。

 

他にも既読やスタンプ、絵文字を駆使したことで文章で様々な表現が可能になったりLINEや写真をメインに他の人へ楽しみを共有するInstagramなども今まで考えてもいなかったアプリも普及している。

 

味の概念にも同じことが言えると気づいた。

カルピス、キャラメル、ヤクルト味など想像すると味がする。素材の単純な味から複雑な味の選択肢が広がり老若男女に愛されるようになっている。

 

 

このようにいわれてみれば今新しく出ている様々なアイテムやアプリは今までの概念を壊し新たに生活に定着させてそれがなかった生活や考えができない世の中へ変化している。

 

自分が起業するかはさておき、まだ経験や知識が浅いのでそれらを深めていくと同時に概念を壊す練習を頭で巡らせておいたらひょんなことでアイデアが浮かんで何かの役に立つかもと淡い希望をいだいて生活しようと思った。私なりの新しい生活様式(笑)

 

レッドアイズ第3話の感想

1月の毎週土曜日夜10時に放送されている日テレの亀梨くん主演の「レッドアイズ 監視捜査班」がめちゃくちゃ怖かったので感想を書いていく

今日はブログを書く気分じゃなかったのでこんな時間になってしまった

 

あらすじ

主人公の元刑事の伏見は結婚を伝えるために約束していた恋人を青い服の男に殺されその犯人をずっと捜している。

一方神奈川県警は監視カメラを使った最新機能を駆使して様々な事件の犯人を突き詰める特殊部隊を設置する、すなわちKSBCである。

その長官に任命された伏見の上司島原(松下奈緒)は伏見に一緒にやらないかと提案するが伏見は恋人を殺した犯人を独自に進めていた仲間、元犯罪者たちも一緒に仲間に入れてくれるならという条件で捜査に加わり様々な事件を解いていく。その第3話。

 

 

伏見と同じ捜査チームの湊川(シシドカフカ)が殺人鬼にとらわれてしまう。

過去の事件で使った爆弾を使用したり湊川を死の極限状態に追い詰めるが伏見が救う

しかし殺人鬼の狙いは湊川ではなく島原が過去にとある事件で犯人を追っていた際、その犯人に殺人鬼の恋人が突き落とされてしまう。あと数秒早ければ恋人は死なずに済んだのに間接的に島原に恋人を殺された復讐からその殺人鬼は島原の夫と妹を拘束し10分以内にどちらを助けるか決めろとビデオメッセージで要求を突きつける

10分後決断ができず夫が俺を殺せといいその場で殺害される様子がKSBCに見せつけられた。

 

 

 

今日の展開は殺人鬼も島原も伏見も殺人により最愛の人を失っている

また今回の殺人鬼は被害者の恋人も殺しておりこの被害者は殺人鬼の恋人を階段から突き落とした張本人である

そして捕らえられたが解放された湊川はDV夫を殺した前科がある。

 

自分には恋人がいないので想像に乏しいが最愛の人を失う悲しさや苦しさは誰にも分ってもらえないし慰めの言葉も見当たらない。今後の展開で最愛の人を失った過去が引き金になりそうなドラマだと感じた。

 

自分がその立場にもしなったらどんな決断を下すのか考えるとそれなら自分を殺してほしいと思う人が多い気がする。だけど現場に自分がいけないときだと?現場にいるのに自分は生かされる選択しかできないと?いろいろ考えが巡る。少々あり得ないが自分の大切な人が断崖絶壁にいたら自分はどういう行動が正しいのだろうと思いを巡らせたドラマだった。答えのない問題ではある。

 

個人的にはこういう劣悪殺人系ドラマ大好きなんだけどね、、、(笑)

 

 

 

 

19歳。③  感情コントロール

大人になるということは感情コントロールだと最近気づいた。

 

私は負けず嫌いだったり突破的な言葉を言って笑わせたりするのが好きだったりする。バイト先はどちらもそれを受け入れてくれている。

 

たまに前の日に嫌なことがあったり当日怒られたりしてそれを言葉にしてないのにものを置く動作などで相手に伝わってしまうことが私にはよくある。世間ではこれを大人気ないというんだろうな。

 

どんなに嫌でも仕事したくなくてもイライラの感情を抑えたら、嫌な上司に文句言われても反抗せずにそれなりに受け止めるあのコントロール力を備えてる人は大人なんだと思う。

 

 

今祖母と同居しているが現在76歳である。つくづく自分のことしか考えないし自分は大丈夫とか思う性格である。

一方テレビで活躍する専門家や仕事をまだ継続してる人の話を聞くとやはり自分のことよりも相手を優先して周りのことを考えることで初めて感情コントロールというのが生まれることに気付いた。

相手を優先し自分を後回しにすれば自分のイライラ感情を相手にぶつけるのは不快だと感じて自然にコントロール出来てる力が身に付いているのでないかと考えた。

 

性格は治らないが集団の中にいた時常日頃から相手や周りについて思いを持てば自然と大人に近付くんだろうか、、、書いては見たけどあんまりしっくりこない。

 

 

感情コントロール力理論で何かいい著書が有れば19歳の私に教えてください。

 

コロナと共存は無理?

2月5日現在、コロナは収束せず緊急事態宣言も1々月延長の方向で進めている日本。

 

以前太田猛彦先生の森林セミナーでおっしゃっていたことは

 

世界では医療崩壊がすぐに起きたのに日本では起きなかったのはなぜか。それは水が綺麗だからだ。

  • 世界の沖積地の水はよどんでいることが多い。日本は急こう配のためよどんだ水が少ない
  • 日本のように国土面積の約6割は森林だと緑のダムの役割を果たしている。
  • また雨が多い季節で水が豊富に得られる国土
  • また手洗い・うがいの文化のおかげで感染者を減らし医療崩壊を防ぐことができている

(2020年夏時点)

 

感染症対策にはきれいな水が必要でありそれには管理された森林が必要であること。

 

このコロナ化で森林は程遠いものと思われているがきれいな水は貴重であり

生活に密に関わり、手洗い・うがい文化入浴習慣が発達し清潔好きな国民性、コロナの他の感染症対策に大いに役立つ。

 

もし今感染していないならばこの暇な機会にぜひ水と森についての関係性を調べてみてはどうだろうか

水を育む森林のはなし:林野庁 (maff.go.jp)

水と環境「森林の働き」 水大事典 サントリーのエコ活 サントリー (suntory.co.jp)

 

 

コロナは今変異種も確認されておりたびたび地球の人口削減や経済停滞により温暖化や大気汚染が改善されているという情報もよく聞く。

 

もはや人間はWithコロナではなくもはや変化していくウイルスにより本来の地球へと確変していく中で生きていかなければいけない Underコロナなのだ

 

太田先生のおっしゃる通りだなと。。。

 

 

芸術家の言語化力

今日は岡本太郎美術館に行ってきた

 

岡本太郎の作品は深く知らないが元々知っていたのでちゃんと作品が見れて良いインスピレーションを受けた。

 

 

芸術家って絵のセンスだけでなく言葉のセンスもとてつもなく特に印象に残った言葉がこれだ。

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本職は人間

 

岡本太郎は芸術家とかそういう枠に囚われないのが人間らしくて私はとてもしっくりきたし自分も本職は人間であるから人間第一に泥っぽく生きてていいのだなとも思えた。芸術に精通する人は伝える力が他の人よりも強いからでもあるな。

 

 

美術作品を見てどう思うかは個々人によって異なるが自分なりの解釈が言語化できるようになってて私はまだまだ言語化能力衰えてなくてよかったとも実感した(笑)

 

 

岡本太郎美術館はフラッシュなしであれば撮影可能であり大人だと料金500円、高校生と大学生は300円で入館できる。

 

詳細はこちら

https://www.taromuseum.jp/

 

 

岡本太郎の本でも読んでみようかな。