ナツの思いつき

第二のツイッター

信頼と生活

人生で初めて初対面の人と約10日間寝食を共にした共同生活をした。6人と1人の三宅島出身のお手伝いの子と私を含めて8人で行動した。事前に自己紹介が送られてきたが実際に初日ターミナルで合流すると写真とのイメージ通りだった人、違う人、年齢や大学や住んでいる地域もバラバラな7人が集まった。

 

共同生活は正直もっと不満とストレスがたまると思っていた。しかし想像以上にこの期間は毎日楽しく充実していて最初は社交辞令のような悩みだったが半分日程を過ぎた頃から本当の(?)悩みをみんなが打ち明けてきた。例えば就職を希望する職種や家庭のこと、留学のことなど。私も今まで誰にも言えなかった悩みをいうことができた。またそのころから皆疲れているのに自然とラウンジに集まって他愛のない話をすることも増えた。

 

 

中高6年間同じ学校に通っていた私は6年の仲なら卒業しても悩みを打ち明けられる関係性がずっと続くだろうと考えてた。しかし実際時間の壁には逆らうことはできなかった。一定期間会わないとこんなことで相談していいのか、向こうは充実しているから今充実してない私が不満を漏らしたら軽くあしらわれるのだろうかと思いが悶々としてせっかく6年間で部活や勉強で切磋琢磨してきた事実があるはずなのに味方なのに味方じゃないような友達という関係性になってしまったように感じてた。

 

共同生活はお互いの寝顔、寝起き、食事の癖、味の微妙な違い、ゆで卵の固さ、食べ物の好みなど普段の生活を否が応でもさらさないと生活できない。生活はそれぞれの人生形成の一部であり重要な部分でもある。それが初対面でその人への先入観がないからこそやりやすく生活しやすかったのでないかと思う。

 

 

共同生活というパーソナルスペースを晒すことで普段自分が当たり前だと思ってしてたことに対してありがとうと伝えられること、逆に自分が気づかないで相手が気づいてもらったことに対して感謝の気持ちを素直に伝えることができた。またそれに関連して褒められると自己肯定感がこの期間でめちゃくちゃ高まった。元々ネガティブで自己肯定感底辺だったがこの期間で新たな自分を発見できたこと、ありのまま生きていいということなどを発見でき生きやすい精神になった。それは同時に相手のいいところも発見できた。相手の行動に対して本心で褒めることが多かったし互いに認め合うことで仲が深まった。表面的ではなく内部に突き刺さるようなこの感覚。人と深くまで信頼を得るにはもしかしたら年数ではなく人生形成の一部でもある生活に密着してあえてパーソナルスペースに入るのを許すことも関係するのかなと感じた。

 

お互いのことを知らずに生活することは違いを否定するのではなく認め合えること感謝を相手に伝えることの2つの重要性を痛感した。

 

 

 

まああとは単純にメンバー運がよかったなって思いますこれも人生の内、、、、